KCIDigital Archives

京都服飾文化研究財団(KCI)の収蔵品から選りすぐった作品を、画像と解説付きでご覧いただけます。

ブレスレット[下] ベルト[上]

© The Kyoto Costume Institute, photo by Masayuki Hayashi

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ブレスレット[下] ベルト[上]

1890-1900年代 - 日本

デザイナー
不詳
ブランド
不詳
素材・形状特徴
七宝のメダルを金属輪で連結。ぼかした水色地に花鳥柄。
収蔵品番号
AC10187 99-34-2[下]、AC10186 99-34-1AC[上]

梅や竹、藤、白鷺、鶯などが七宝で微細に表現されている。絵柄には、文様の輪郭の境界を薄い金属片で分ける有線七宝の技法が使われている。 日本で七宝製作が盛んになるのは幕末以降、尾張(現在の愛知県西部)で西洋の七宝焼を参考に製法を確立したことが始まりとされる。1873(明治6)年のウィーン万博に、日本は七宝のボタンや指輪、花瓶、コーヒー茶碗などを出展。万博の紀要には、七宝が生糸や茶とならんで最も重要な輸出品の一つであることが示されている。75年にはドイツのアーレンス商会が、尾張の遠島村(あま市七宝町遠島)の七宝工、塚本貝介や日本のお雇い外国人だったゴットフリート・ワグネルを招いて輸出用の七宝製作を始めた。 本品には釉薬の持つガラス質の特徴を生かした透明釉が使われ、素地の金属とそこに施された魚々子(ななこ)の文様が浮かび上がって見える。素地である銅の表面に銀箔を張った「銀張り」と呼ばれる技法と考えられる。こうした透明釉を用いた銀張七宝は、遠島村の塚本甚平が1894(明治27)年に考案。1902(明治35)年頃、この地で盛んに作られていた。

1890s