室内着「キモノ・サダヤッコ」1900年代 - フランス
1900年、パリで公演した川上貞奴は、美貌ときものの着こなしでパリを席巻した。その人気にあやかってパリの「オー・ミカド」店が売り出した「キモノ・サダヤッコ」は、買いやすい値段と広告戦略で、広く一般的な女性の興味を引き、起こりつつあったキモノ・ブームに火をつけた。「キモノ・サダヤッコ」の広告は、1903年頃からしばしばフランスの女性誌『フェミナ』に登場した。やがて、イタリアやスペインの雑誌にも広告が出され、通信販売が行われた。広告では、「キモノ・サダヤッコ」は日本から運んだ本物のきものと銘打たれているが、羽二重やネルなどの日本製の素材を使用しつつも、衿付け線と肩線などの構造は西欧で仕立てられたものである。素材や仕様に応じて数種類が販売され、本品は、30フランで販売された冬用のものであろう。実用的な室内着であったためか、現存する例は数少ない。本品は、本来足首までの着丈のものが、後に裾が切られ短くなっている。
デザイナー不詳
ブランドオー・ミカド
レーベルKIMONO SADA YACCO Marque Déposée Au Mikado PARIS 日本物品
素材・形状特徴生成の羽二重に黒の鳳凰、鳳凰の丸文、蝶のプリント。衿は栗色の絹サテン。
収蔵品番号AC9179 94-42
イヴニング・コート1913年頃
打掛のようなシルエットのコート。当時のファッション誌で「マントー・ジャポネ」と呼ばれたこのシルエットは、浮世絵に描かれた花魁、あるいは歌舞伎役者の打掛を思わせる。大胆な縞の衿は、歌舞伎衣装の伊達衿だろうか。ビーズ刺繍で表現された花のような文様は花勝見(はなかつみ)と呼ばれ、江戸後期に、歌舞伎役者が好んだことから流行した日本の伝統的な文様とも見える。だが、背面のボーダー飾りは古代地中海の文様とも似ており、パルメットといえるかもしれない。本品は、1910年代初めの流行である東洋風の折衷的要素が詰め込まれたコートである。 エイミー・リンカー店は、1900年、パリで開店。コートやスーツを得意とし、20世紀初期にはファッション誌に頻繁に新作が取り上げられていた。1920年代にはスポーティなファッションを提案したことで知られる。
デザイナーエイミー・リンカー
ブランドエイミー・リンカー
レーベルAMY LINKER LINKER & Co. Sps. 7 RUE AUBER PARIS
素材・形状特徴黒の絹サテンと黄緑の絹クレープ。黒と緑の絹サテンを段に折り重ねた衿。花文あるいはオリエンタル・モチーフのビーズ刺繍。
収蔵品番号AC3775 81-8-1
ドレス1920年代
ポール・ポワレ[1879-1944]の妻、ドニーズが所有したとされる1920年代の羽織風ワンピース・ドレス。分銅繋ぎ文のなかに梅文が配置されており、桶染のようにグレーと黒に染め分けられている。また裏地には朱印が押されており、生地は日本の輸出用製品であろうか。羽織のような衿は、ストールを首に巻くようにして作りだす。ワンピース・ドレスだが、グレーのきものの上に、黒紋付の羽織を羽織っているように見える仕立になっている。ポワレはテキスタイル・デザインに対して深い関心を寄せたデザイナーであり、世界各地の異国情緒あふれる生地を使用した。
ポワレはドゥーセ店、ウォルト店を経て、1903年にメゾンを開店した。20世紀初頭の時代感覚を鋭く感知し、ファッションの新しい方向性を捉え、先導した。1906年コルセットなしのドレスを発表し、日本やバレエ・リュスの影響を受けた東洋的な作品を次々と発表した。19世紀までの身体を束縛する服から、直線的な裁断、ゆるやかさを追求しようとした時、そのイメージの元となったのは、多様な異郷の服の要素だった。
デザイナーポール・ポワレ
ブランドポール・ポワレ
レーベル(判読不能のスタンプ)
素材・形状特徴黒とグレーの絹クレープのワンピース・ドレス。地は分銅繋ぎと梅文の紋織り。絞り染め。共布のボウ・カラーとベルト。
収蔵品番号AC11551 2006-17-1AC
室内着1928年頃
本品のテキスタイル・デザインは、1916年から31年までウィーン工房Wiener Werkstätteに所属したマティルデ・フレーグル。若松文様を思わせる図案化された孔雀の尾羽が、黒い背景に映えている。コートはウィーン工房モード部門(1911-1931)で製作された。
グズタフ・クリムトが中心となって活動を始めた新しい芸術活動・ウィーン分離派に参加したヨーゼフ・ホフマン、コロマン・モーザーは、1903年、ウィーン工房を創立した。美術と工芸との等価性を唱え、「総合芸術」を提唱したイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に影響を受けたものだった。彼らは、家具、工芸品、壁紙、食器、そしてファッションなど日用品のデザインを手がけた。この時日本の美術工芸品は、「総合芸術」の実践と解釈され、製作の重要なインスピレーションの源となった。彼らが製作したテキスタイルには、日本の布地や型紙の影響が色濃く見られる。
ブランドウィーン工房(テキスタイル・デザイン:マティルデ・フレーグル)
レーベルWIENER WERKSTATTE
素材・形状特徴黒の羽二重に孔雀柄のプリント「ホビー」。くるみ釦とループによる前明。大ぶりなキモノ袖、きもの風の衿。共布のベルト付き。
収蔵品番号AC9011 93-47
ドレス1870年代
ロンドンで仕立て直された日本の着物によるドレス。生地には着物の縫い線の痕跡が見える。アンダー・スカートが欠落しているが、別布によるものが組み合わされていたと考えられる。他にも本来の装飾が欠落していると思われる箇所がある。
19世紀後期、日本から渡った着物や染織品は多くの人々を虜にした。西欧の女性たちは、日本の着物地や着物をほどいたものをドレスに仕立てたり、着物を室内着として着用した。本品のような江戸時代末期の上流武家階級の女性の着物は、特に好まれたものの一つだった。
デザイナー不詳
ブランドターナー
レーベルMISSES TURNER COURT DRESS MAKERS 151 STREET
素材・形状特徴白紗綾型紋綸子地に藤、菊、牡丹、唐団扇柄を絹糸と金糸の刺繍と型しぼりで全面に装飾。ボディスとオーバー・スカートのみ現存。ボディスのくるみ釦は、巴文風。
収蔵品番号AC8938 93-28-1AB
イヴニング・ドレス1894年頃
すっきりと広がるスカートと大きく膨らんだエレファント・スリーブは、1895年頃の典型的なシルエット。スカートに大胆に施された陽光と雲のデザインには、日本の美術・工芸品のデザインに特徴的な非対称性が見てとれる。
19世紀後期、ジャポニスムの隆盛を背景に着物やそのデザイン見本帳である「雛形」が西欧に渡った。そこに示された日本の文様や左右非対称の構図は、本品のようにパリ・オートクチュールにも新しいデザインとして吸収されていった。
デザイナーシャルル=フレデリック・ウォルト
ブランドウォルト
レーベル無し
素材・形状特徴アイボリーの絹サテンのツーピース・ドレス。ジゴ袖。衿ぐり、胴部にペール・ピンクの絹シフォンの装飾。スカート前面に左右非対称の構図で表現された陽光と雲のモチーフは、ペール・ピンクの絹チュールのはめこみとビーズ刺繍による。
収蔵品番号AC4799 84-9-2AB